千年の歴史を受け継ぐ祭り 相馬野馬追
相馬野馬追は、福島県の沿岸部を中心に毎年夏(2024年から5月)に開催される伝統的な祭りで、日本の重要無形民俗文化財に指定されています。起源は古代の武士の軍事訓練にあるとされ、相馬氏の統治のもとで代々受け継がれてきました。
特に浪江町は、小高神社を中心に野馬懸などの神事が行われてきた地であり、相馬野馬追の精神的・文化的な礎を築いてきた重要な地域の一つです。
本書では、相馬野馬追の歴史と変遷を記録し、浪江町における関わりや貢献に焦点を当てて紹介していきます。文献調査や語り部の証言、地域の声を通じて、この伝統の意義を未来へと伝えていきたいと思います。
学び
野馬追の歴史・文化
相馬野馬追は、福島県相馬市および南相馬市を中心に毎年夏に開催される歴史ある祭りです。日本の重要無形民俗文化財に指定されており、伝説や歴史的記録によれば、その起源は千年以上前に遡るとされています。
この祭りは、もともと相馬氏によって執り行われていましたが、時代の変遷とともに数多くの変化を遂げてきました。過去十年においては、2011年に発生した東日本大震災や福島第一原子力発電所の事故、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行といった重大な試練に直面しましたが、その都度、祭りの構成を変更し、規模を縮小し、日程を調整し、無観客で神事を執り行うなどの対応を行い、いかなる状況下においても継続する力と進化する柔軟性を示してきました。2024年からは、猛暑の影響で、開催月を7月から5月に変更しています。

相馬野馬追の歩み
伝説と歴史が交錯する祭り
相馬野馬追は千年以上の歴史を持つとされ、武将・平将門が馬で兵を訓練したことに始まるという伝説があります。12世紀末、将門の子孫・千葉常胤の次男が相馬氏の祖となり、以後700年にわたり地域を統治しました。1323年に拠点が南相馬市に移され、野馬追の行事が毎年行われたと伝えられています。
ただし将門との関係は江戸時代の記録に初めて登場し、平安時代の裏付けはありません。1597年には現在の形に近い記録があり、当時は小規模でした。関ヶ原の戦い後、相馬氏は一時領地を失い、祭りの記録も途絶えましたが、1637年に再興されます。
その後も、藩主の病気や財政難、飢饉によって延期・縮小が繰り返され、「延引」「御省略」と呼ばれる対応が取られました。明治維新後、甲冑などの武家色は廃止されつつも、住民の尽力により神事として継続。1872年には神旗争奪戦が新たに導入され、祭りの中心行事となりました。
昭和初期には国威発揚の行事とされ一時復興するも、戦争の影響で再び中断。戦後は軍事色を排し、1947年に平和的な祭りとして復活します。1952年には国の重要無形民俗文化財に指定され、保存体制が整いました。
現代の相馬野馬追は甲冑競馬や神旗争奪戦を中心に、地域ごとの神輿行列や伝統行事・野馬懸を継承。参加郷は再編により五郷に減少しましたが、形式の多くは江戸時代を引き継いでいます。
2011年に発生した東日本大震災や福島第一原子力発電所の事故の発生時には、避難区域にあった相馬小高神社や馬を救出し、規模を縮小しながらも開催。復興と鎮魂をテーマに掲げたこの年の祭りは、人と馬、地域の絆を再確認する場となりました。

開催時期 5月最終週
相馬野馬追は、例年「申の日」を中心に旧暦5月の3日間にわたり開催されていました。ただし、年によって日程は若干前後することがありました。旧暦5月は「午の月」と呼ばれ、申(猿)は馬の守護神とされていたことから、この時期の開催は祭事において重要な意味を持っていました。
現代においては、学校の夏休み期間や降雨の少ない時期に合わせるため、7月最終週に実施されてきました。しかし、近年の夏季の気温上昇を受け、2024年からは5月最終週への変更が行われました。
主要な儀式と行事
現在は、かつての藩政時代の行政区に基づき、相馬中村神社(宇多郷・北郷)・相馬太田神社(中野郷)・相馬小高神社(小高・標葉郷)にそれぞれ集合し、出陣式を行います。
各神社では参拝と祝杯の後、大将が「出陣!」と号令。軍者が旗を振り、螺役が法螺貝を吹き鳴らすと、武者たちは出陣します。特に総大将が出陣する相馬中村神社では、儀式は一層厳かに行われます。その後、総大将のお迎えは古式に則って執り行われ、伝令は早馬で各陣に伝えられます。宇多郷・北郷の武者たちは、この儀式を終えると、原町区にある雲雀ヶ原祭場地へと進軍します。
かつては、祭りに参加する武士たちは、まず数日間の潔斎を行い、心身を清めてから臨みました。死や出産による「穢れ」がある者は参加できず、破れば災厄が訪れると信じられていました。祭り初日は、城下の武士たちが行列を組み、原町へ進軍。夕刻には「宵乗り」と呼ばれる儀式があり、熟練の騎馬武者が馬術を披露し、武士の技と統率を示しました。

2024年相馬野馬追 コラム/インタビュー


木村奈々美さんは18歳ですが、今年で10度目の出陣という、経験豊富な標葉郷の騎馬武者です。幼いころに見た女性騎馬武者の姿に「かっこいい!」と一目ぼれし、小学4年生のころから出場するようになりました。
野馬追の見どころの一つに、お付きの者が武者言葉で伝令などを述べる「口上」があります。木村さんは今回、この大役を担います。
行列中には「先頭軍者〇〇殿、本陣雲雀ケ原に向けて進軍中!」と勇ましい声を響かせたり。「口上」によって、観客は目の前に本当に戦国武士がいるかのような臨場感を味わうことができます。
また、木村さんは雲雀ケ原祭場地(南相馬市原町区)、中央公園(浪江町)で26日にそれぞれ行われる神旗争奪戦にも出場します。
「来年が最後の出場になるので、今年と来年に、なんとしても武勲を立てたい。原発事故でみんなバラバラになっちゃったけど、年に1回、こうして仲間と集まれることがうれしい。野馬追がなかったら、仲間にも出会えなかった。」
原発事故により故郷・浪江町を離れ、相馬市で生活を送る木村さん。野馬追が故郷との大切なつながりになっていることがうかがえました。
女性の出場は20歳未満という決まり※があるため、木村さんは19歳となる来年、野馬追を引退します。ぜひ会場でその勇姿を目に焼き付けていただけたらと思います。
2024年5月取材
※2025年より、参加できる女性の条件が緩和されました。
1984年に、参加できる女性騎馬武者は「20歳未満の未婚者」と定めましたが、男女平等などの観点から議論され、2024年から撤廃されました。木村さんは2025年も出陣しています。


今年初陣を飾る稲本陸斗くん(6歳)は小学校1年生で、標葉郷56人の騎馬武者の中では最年少です。
父・稲本幸平さんの騎馬武者の姿を見たり、自宅で飼育する馬とふれあう中で『僕も出場したい!』と昨年家族に明かしたのだと、幸平さんが話してくれました。
『私の初陣は中学生の時。法螺貝を吹く螺役(かいやく)でした。「野馬追への情熱は伝染する」と先輩たちに言われた通り、気がつけば、私も長年騎馬として出場し、自分で馬を飼うまでになりました』『原発事故後、県外に避難していましたが、野馬追がなければ、(福島県に)帰ってこなかったかもしれない。標葉郷の一員として出陣するのが誇りでもあります。野馬追の担い手を継承していく必要がある中、息子が出陣してくれるのは嬉しく思っています』と幸平さん。稲本さん一家は、現在は南相馬市に馬小屋と乗馬の練習場を構え、3頭の愛馬と共に生活しています。
陸斗くんには、双子の兄・陽斗くんがいます。陽斗くんは今回出場しませんが、馬の世話が大好きで、自分から進んで馬小屋を掃除するなど野馬追一家をサポートしています。『陽斗と一緒に馬の世話をしながら練習もしているよ。本番が楽しみ。』と話す陸斗くん。
人と馬が共に暮らす馬事文化を持つ相双地方。最年少騎馬武者・陸斗くんの勇姿と共に、地域の文化を感じていただけたらと思います。
2024年5月取材
参考
- 南相馬市観光協会. (n.d.). 寄り道・南相馬|相馬野馬追
- 相馬市. (n.d.). 野馬追のいまむかしガイドブック
- 南相馬市. (n.d.). 【学び】国指定重要無形民俗文化財「相馬野馬追」について
- 一般社団法人双葉郡地域観光研究協会. (n.d.). 相馬野馬追と「標葉郷」
- 植田, 今日子. (2013). なぜ大災害の非常事態下で祭礼は遂行されるのか――東日本大震災後の「相馬野馬追」と中越地震後の「牛の角突き」. 社会学年報, 42, 43–65.
- 浅川, 杏珠 & 川﨑, 興太. (n.d.). 相馬野馬追の歴史から見る行事内容の確立と存続のためになされてきた様態変化 [Changes of the mode of Soma Nomaoi for a thousand years since its birth]. 福島大学 共生システム理工学類 研究報告.
体験できるもの(コンテンツ・イベント)

ノーマホースヴィレッジ
- 34代目相馬藩当主が描く馬との共生
- ノーマ・ホースヴィレッジは、「人と馬と自然との共生」を掲げ、乗馬体験、ホーストレッキング、ホースセラピー、ホースキャンプなど、馬と触れ合うアクティビティを提供。
この地域を約700年にわたって治めてきた相馬藩の当主を代表とするコミュニティ「驫の谷」も運営し、人材育成や研修事業も行っています。

SAMURAI GARLIC
- 馬事文化を農業で表現する
- ランドビルドファームは、浪江町で「相馬野馬追」に参加している馬の堆肥を活用しニンニクを栽培。その名も「サムライガーリック」。馬の堆肥は水捌けや保肥力にも優れ、土壌改良には最適。これが美味しいニンニクの秘訣となっています。
また、古民家を活用した「和座-waza-」という地域体験プラットフォームを運営しており、レンタルスペースとしての利用や甲冑着付け体験を提供しています。

陶吉郎窯
- 300年以上続く伝統工芸を次世代に継承
「大堀相馬焼」は、国の伝統的工芸品であり、300年以上前から浪江町の大堀地区に伝わります。
陶吉郎窯は、2024年に大堀地区の一部地域で避難指示が解除されたことにより、13年ぶりに窯を再開させました。
二重構造や青ひびを特徴とし、職人が一つ一つ手作りをしています。国内外で高評価を受け、現代のライフスタイルに合う器を提供しています。