浪江の十日市祭

14年の時を経て復活!

十日市祭は長い間、浪江町の地域生活の中心にあり続けてきました。明治時代に小さな神社の市として始まったものが、やがて商取引や芸能、地域の祝祭が融合した賑やかな秋の祭りへと発展しました。

14年の時を経て、ようやく本来の場所にて復活します。

2005年十日市祭の様子

十日市の歴史的起源

2010年十日市祭の様子

1873年(明治6年)、権現堂地区で出羽権現(現在の浪江神社)の祭礼に合わせて市が立てられたのが十日市祭の始まりです。

旧暦10月10日を中日として3日間開催されたことから「十日市」と呼ばれるようになりました。この市は収穫を祝い、冬支度のための生活必需品を整える場でもありました。農家は米を持ち寄って売り、その収入で衣類や日用品を購入しました。

夕方には、落花生やりんごを土産として背負い、冷たい風の中、月明かりに照らされた道を急ぐ人々の列が近隣の村々から続き、町は大いに賑わいました。

初期には近隣の「六日市」と競合しましたが、1898年の鉄道開通と浪江駅の設置によって十日市が優勢となり、六日市は姿を消しました。20世紀半ばには、十日市は活気あふれる年中行事へと成長し、新町通りは歩行者天国となって最大300軒の露店が並びました。

学生によるみこし担ぎ、学校の吹奏楽やよさこい踊り、作品展、大道芸なども繰り広げられ、商業と文化が一体となった三日間の祭典となりました。

2011年以降の中断と復活

2011年の地震・津波・原発事故により、浪江での十日市祭は中断を余儀なくされました。しかし2012年には、二本松市をはじめとする避難先の都市で、NPO新町なみえなどの支援によって復活を遂げました。

2017年には浪江町に戻り、地域スポーツセンターに会場を移し、「復興なみえ町十日市祭」として再開されました。

この復活は復興の象徴的な意味を持ち、住民が分散して暮らす中でも、故郷を思い出し再会できる年に一度の拠点として機能しました。そして2025年11月22日・23日には、15年ぶりに新町通りでの開催が予定されています。

文化的プログラムと象徴的機能

震災後の十日市祭は、商業の場を超えた豊かな文化プログラムを展開しました。
なみえ焼そば、鈴木酒造店の地酒、大堀相馬焼などの特産品が紹介され、民謡や神楽、田植え踊りといった伝統芸能、さらには請戸の大漁旗の展示も行われました。仮設住宅で結成されたフラダンスグループなど、住民自身の出し物も加わりました。

避難生活の中で芸能団体の維持や稽古の継続は困難でしたが、集い、演じ、観るという行為そのものが、浪江町への帰属意識と地域アイデンティティを再確認する役割を果たしました。