feature歴史を繋ぐ陶芸の里 浪江町大堀

相馬中村藩による江戸期の統治

戦国時代から1000年以上続くと言われる福島県沿岸地域の一大祭典『相馬野馬追』。代々受け継がれる甲冑を身に纏い騎馬する侍らの数は毎年400騎におよびます。雲雀ケ原祭場地に集うその風景は、戦国絵巻に描かれている絵姿そのものです。
乱世で滅びず、廃藩置県まで続いた珍しい大名である相馬中村藩は、藩が消滅した後も代々の主君が継承され、野馬追のような藩の文化も途絶えることなく継承されています。

藩士が起こし藩が守り育てた相馬焼

江戸元禄の時代に相馬中村藩士の半谷休閑が浪江町大堀 において陶土を見つけ、召使いに日用雑器として焼き物を作らせたことをはじまりとし、この地に住む農民や移住してきた職人などの手によって大堀での作陶が盛んになってゆく。相馬藩はこの焼き物を特産品にしようと目をつけ、地産地消の取り組みや職人の流失を防ぐ取り組みを行い、江戸末期には120戸の窯元を持つ東北随一の産地を形成していきました。

度重なる苦難を乗り越え受け継がれる歴史

300年の歴史を持つ大堀相馬焼ですが、幾度となくその存続が危ぶまれてきました。廃藩置県によって相馬藩の援助がなくなると窯元が激減し、その後の戊辰戦争や世界大戦においても大きな打撃を受け存続の危機となりましたが、復員者や引揚者によって再興されました。1978年には、一子相伝の献上品として継承されていた相馬駒焼と区別する形で、大堀相馬焼として国の伝統的工芸品の指定を受け、海外販路を開拓するなど、時代の流れに合わせ変化をしながら伝統を継承してきました。

2011年3月11日、東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故による全町避難を余儀なくされ、大堀地区も帰還困難区域として長らく帰還が叶わず、300年の歴史の中で一番困難とも言える存続の危機に直面しています。しかし、伝統の火を絶やしてはいけないと踏みとどまった窯元は避難先で再開し営業を続けています。

大堀相馬焼が再び産地へ

震災発生から12年の歳月を経て、令和5年3月31日、大堀地区の一部地域の避難指示が解除されました。産地が完全に再生するまでにはまだまだ長い年月を要することが想定されますが、多くの方に浪江町へお越しいただくことが歴史を取り戻していくことに繋がっていきます。ぜひ、歴史の紡ぎ手として浪江町にお越しいただけたらと思います。